郷土誌 『隠岐の文化財』 第27号(2010年)に掲載。
暖地系の種で,隠岐より北の産地である石川・新潟県では準絶滅危惧種の指定。ササクサも似た分布で福島県(準絶滅危惧) まで,隠岐は北限に近い点が要注目。
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今年の夏に発見したものだが(2017.7.19),島根県には過去の記録がない。今頃になっても “県初” が見付かることに驚く。隠岐で,何時まで続くのだろう…。
“海岸にしか生えない” という本来の海岸植物(狭義)で,砂浜の湿地が好みらしい。塩分には滅法強く,満潮時に海水を被るような砂泥地にも群落を作るという。
現地は高さ数メートルの海食崖の上の平地で,浅い小さな沼がある。 “塩沼池” とは思っていなかったが,時化ると海水の飛沫が降ってくるのだろう。水の中はカモノハシの大株が目立ち(優占種はミソハギ),周辺にはヤマイ・イソヤマテンツキといった,海辺を好む連中が集っている。
この場所には何度も来ているが,今までは単なるシバ Zoysia japonica だと思って見向きもしなかった。実際,周囲の乾いた場所にはシバが広がっている。
今回たまたま,「えっ!シバが水の中に生えるかな…?」との思いが浮かんだ。時間がたっぷりあって,のんびり気分だったのがよかったと思う。
同定上は,シバとの区別が問題になるが,以下の検索表に従った。
(木場英久,2001)
・小穂長は5~7mm,海岸の湿地に生える ------- ナガミノオニシバ
・小穂長は2~4mm,内陸にも生える ----------- シバ(3mm内外)その他
シバとは見かけが相当違うし,その他の細かい差異も色々ある。これについては,今後丁寧に調べてみたい。
隠岐に自生する事の意義を知るために分布を調べてみた。図鑑類の記述は一様に 「本州(関東以西)~九州,朝鮮半島・中国(東北部)」 となっている。ただしこれは,大学や博物館等の公的な機関に収蔵されている標本に基づいたもので, “主たる” 分布域を表したものに過ぎない。
詳しい分布状況や例外的な隔離分布,南限・北限等を知るためには,地方植物誌や関係論文(報告書)をチェックする必要がある。地元の人はよく知っているのに,「図鑑の分布域には含まれてない」こともよくある。
分布が「関東以西」となっているものは,隠岐が北限自生地の可能性がある。早速,競合県(緯度が同じ)である福井県(日本海側)と茨城県(太平洋側)を調べたら,両県とも記録がない。さては!と喜んだがそうではなかった。悔しいので分布を細かく調べることにした。
〔四国・九州〕
まず,四国と九州は全県の記録があるので,省略する。ただ,香川・高知・熊本・鹿児島の各県でレッドデータブックに載っており,ありふれているとまでは言えないようだ。
また,何故か沖縄県には自生しない。母種のコオニシバ Z. sinica var. sinica に置き換わっている。因みに,コオニシバの北限は種子島とされるが,実際には大分県南部にも自生あり(稀)。
〔日本海側〕
本州については,まず日本海側。確認記録があるのは,山口・兵庫・新潟・青森の4県のみで,他の府県には記録がない。
山口県: 普通種とされているが,主体は瀬戸内側。ただ,下関市にはある。
兵庫県: RDB登載(NT)で,日本海側は浜坂町のみ。
新潟県: 記録は古いもので(1971),『新潟県植物目録 2005』には出て来ない。
青森県: 細井幸兵衛氏の目録で信頼できるが,場所や日付は不明。
取り敢えず,「日本海側では隠岐と兵庫県の浜坂町のみ」と考えておく。異常とも思える分布で,隠岐での確認は価値があった(日本海側の北限)。
〔太平洋側〕
続いて太平洋側。生育記録のある都府県のみ(東京は不詳,内陸県は無視)。
山口:普通, 広島:6地点の標本, 岡山:NT,
兵庫:NT, 大阪:Ⅰ類, 和歌山::NT, 三重:NT
愛知:少ない, 静岡:少ない, 神奈川:Ⅰ類, 東京:?,
千葉:Ⅱ類
福島: 『福島県植物誌 1987』の記載は,「相馬市松川浦 まれ」。
宮城: 『宮城県植物誌 2017』によると,海岸線のほぼ全域。
岩手: 沿岸部の3市2町に生育。岩手県RDBに,「Dランク(北限)」として
登載。
青森: 現状が定かでない。
『日本の海岸植物図鑑(中西弘樹,2017)』の以下の見解に同意したい。
「北限は岩手県宮古市,南限は奄美大島である。」
変った分布をする種だ。日本海側と太平洋側の大きな違いに加え,四国・九州中心の暖地系と思われるのに, “三陸海岸にも” 出現。黒潮の影響があるのかとも思ったが,黒潮は三陸に達しないようだ。
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【 補遺 2019.6.16 】
前回,「実際,周囲の乾いた場所にはシバが広がっている。」と書いているが,これはとんでもない勘違い。周辺の岩場のものもナガミノオニシバであった!
そこが湿地ではないのと,大きさが余りにも小さい(1/3 程度)のでそう思い込んでしまった。シバは水の中には生えないであろうが,ナガミノオニシバは乾燥地にも出るということか。もっとも,塩沼池から2-3mしか離れていない場所なのだが。
前記の検索表(どの文献も同様)では「小穂長:5mm~」となっているが,実測値は全てがほぼ4mmで,5mm近いものはなかった。
但し,シバの約3mmとは明らかに異なる。4~5mmにはコオニシバ var. sinica があるが,種子島~琉球の分布なのでこれは論外。
なお,最新の『日本の野生植物 平凡社』では,記載が以下のようになっていた(茨木靖,2016)。
・ナガミノオニシバ -------- 4~7mm
・シバ ------------------ 約3mm
普通種のシバ Z. japonica ではあり得ないことは, “明瞭な葉舌” があることからも明かである。明瞭とは言うものの,長さ0.2mm弱の微小な毛状列で,高倍率ルーペによる丁寧な観察が必要。
シバの方は “葉舌はない” と考えてよい。時に,痕跡的な欠けらのようなものが見られることもあるが,部分的で±0.05mmと微細。
目視で判断するには,葉の形に注目するのもよい。シバの葉は短く幅広でふっくらとした感じがある。ナガミノオニシバは細くて長~い。
また,シバの葉の表面には,疎らな長毛があるのが普通であるのに,ナガミノオニシバは“無毛”(ごく稀に少毛)。
以下は,2010年に知人に送ったメールの一部であるが,使えそうなのでアップすることにした。サヤヌカグサ L. sayanuka との区別が目的であるが,両種とも知らない人(自分自身がそうだった)向けの内容になっている。最初に出会うのはいずれか一方,2つを比較できないのでけっこう悩むはずである。例え2つが明瞭に異なった種であっても。
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初めて出会ったのは一昨年(2008.10.25 旧都万村 油井の池)。当時はアシカキ L. japonica しか知らなかったので「巨大なアシカキなんだろうか?しかし,まさかね~」と思ったものだ。アシカキとはまるで大きさが異なる。杉村先生の目録に「稀に分布: 都万」となっていたので,俄然力が入った。その時の結論は,(1) エゾノサヤヌカグサであることを疑う余地はない,(2) しかし,その根拠(サヤヌカグサの否定)を聞かれると少々困る,というものだった。
継続して観察しようと思っていたのだが,今回地元の海士町で見付けたので同定を徹底することにした。あった場所は中里地区の用水路の水中。ここには,海士では稀なミズオオバコやヤノネグサが残っている。しかしそれよりも“隠岐で唯一のコガマの自生地”として重要である。そしてそこに,島根県では隠岐の都万村でしか見付かっていない,本種が残っていた。
ちなみに近隣では,山口:無し,広島:無し,岡山:少ない,であった。サヤヌカグサの方は,いずれの県でも「普通種」。東日本ではこれが逆になって,エゾノサヤヌカグサの方が普通になる。隠岐は東日本型かもしれない。
前回の同定は,複数の形質からなる“総合的な判断”だったので,いずれ“決定的な判定基準”を明確にしたいと考えていた。結果の正しさを確信している種に,まる3日をかけた。現地にも3度往復,何かつまらんことをやっているような厭世的な気分にもなった。だけど,スッキリしない気持ちをそのまま放置もできない。
定番の検索表(1978 大井次三郎)は以下のようになっている。
(S: サヤヌカグサ,O: エゾノサヤヌカグサ)
S: 小穂は線状長楕円形で長さ5-6.5mm,幅は約1.5mm,全面が淡緑色,
縁辺には短い剛毛がある。
O: 小穂は長楕円形,長さ4.5-6mm,幅2mmぐらいまでとなり,白色で,脈上
および竜骨上は幅が広く淡緑色をなし,縁辺に長い剛毛がある。
・・・この中で使えそうなのは「幅」である(長さは重なって厄介)。残りの形質は
顕著な差かもしれないが,「現物・写真・図」のいずれかで両方を見比べな
いと感じがつかめない。と言うか意味すらはっきりしない。
そして今回の採集品は,
⇒: 小穂は長楕円形,長さ5-6mm,幅1.6-1.9mm,白い部分が広く脈沿い
のみが緑色,縁辺の剛毛は長く太い。
・・・幅の実測値は,1.7-1.8mmに集中していたので合格である(両側の刺を
含めると約2.0mm)。両種を分ける境目の数値は“1.5mm”であるようだ
(T. Koyama 1987)。
これだけでは危険だが,両種の拡大写真と部分図も見て納得できたので
もう同定は終わっている。しかし何故だかスカッとしない。
前回はこの辺止まりだった。
新しい検索表を追加する。
『神奈川県植物誌 2001』に拠る(サヤヌカ属は佐藤恭子氏の執筆)。
【Ⅰ】
S: 小穂は線状楕円形,花序は比較的小さい。葉身は柔らかく,長さ7-10cm,
幅6-10mm。全体に青緑色を帯びる。
O: 小穂は長楕円形,花序は大きく広がる。葉身は硬く長さ15-25cm,
幅8-12mm。全体に黄緑色を帯びる。
・・・葉の長さがポイントである。随分大きな差だが,他の文献もこの数値に
なっていた。他の感覚的な形質については,一方の現物がないので
何とも言えない。
実測値は,
⇒: 葉身の長さ17~29cm,幅12~16mm。
・・・葉の大きさはバラツキが少なく,よく揃っていて気持ちよかった。これが一番
簡単な区別点で,大賛成である。ルーペも要らない。
ただし,まともに育った典型的な個体(群落中の代表値・平均値)を選ぶこと。
更に,本書の記載文に出て来る“花序の大きさ”の差も有益である。
【Ⅱ】
S: 花序は比較的小さく,長さ10cm前後。
O: 花序は大きく広がり,長さ15~20cm。
⇒: 花序は15cmを軽く超え,枝は多くて長く開出。現地で見てセイバンモロコシ
の穂を連想した。
次は“葉舌”の高さ(長さ)の差異(長田武正 1989)。
【Ⅲ】
S: 0.5mm内外で目立たない。
O: 1-1.5mm。
⇒: 1-1.7mm。
・・・計るのが面倒だが明瞭な差である!新鮮な材料で複数箇所調べるとよい。
同定の過程で気付いたことを多少補足しておく。
(a) サヤヌカグサに同定する時は(隠岐の記録あり!),小型のエゾノサヤヌカグサではないことを十分吟味すること。
(b) 本属は“1小穂1花”なので,“小穂”とは“1つの花”を意味する。“包穎”を欠き,イネの籾にそっくりに見える(ただし薄く平べったい)。
(c) 葉鞘に穂を抱き込んだままの“閉鎖花”を多数付けるが,稈頂に伸びだした穂でも開花した形跡が見られなかった。つまり,雄蕊が外に垂れていない。閉じたままで実を付ける傾向が強いようだ。
(d) 「稈の高さ35-120cm,葉の幅5-14mm」という記載(T. Koyama 1987)は,本当にありがたかった。標本の実測値は,それぞれ100-140cm,12-16mmで,他の図鑑類の記載より無視できないほど大きくて気になっていた。
(e) 九州にある“葉の幅1-2.5cm,花序の長さ20-30cm”のヒロハサヤヌカグサは,サヤヌカグサの“品種”である。エゾノサヤヌカグサのではない。
(f) 両者が混生する地域で「ときに判別できない中間形がある」という報告を読んだが,2つが「自然交配した」雑種の可能性もあるので要注意。
(g) よほどそそっかしくない限り,同定を間違えるような種とは思えない。両者が比較できるなら,一目で区別可能な気がする。
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その後,原田の八尾川河川敷・五箇大峯山の溜池・平地区の川原,でもかなりの量を確認できた。隠岐では「ごく稀」という訳でもない。